2007年11月11日日曜日

小沢代表が中連立・小連立を画策したら!どうなったか?

当方は、全て、世の中、パワーゲームありきと見ています。

小沢代表の辞任会見を要約すると、辞職願の提出の理由として
①福田総理から連立政権を要請打診され、福田総理は安全保障政策で政策転換(国連重視、恒久法)を決断
②民主党がマニフェストで約束した政策を法案化しても、現状では法案は成立できない状況で政策協議すれば約束を実行が可能
③民主党の実力では、次期総選挙の勝利は厳しく、自民党の政権の一翼で約束した政策を実行すれば、国民の理解を得、民主党政権の実現の近道
とし、小沢代表の悲願である二大政党制に矛盾せず、民主党政権実現を早めることによって、2大政党制の基盤を実現することができると判断と説明されました。

小沢代表は、世の中にいう大連立という表現は使わず、また、福田総理も党首会談後の会見でも「新しい仕組み」という言葉を使い、大連立という言葉は慎重に回避していました。
多分、両党首は、世の中(渡辺読売新聞主筆)でいう大連立というイメージとは違った,相互の別々の思いであったのでないかと推察します。

そして、小沢代表は、党首会談の夜の民主党役員会で福田総理の方針を説明し、政策協議を始めるべきではないかと提案したが、全員から総スカンをされ、不信任と受け止め、辞意表明となりました。
小沢代表の一連の動きは、それなりに理解できますね。
小沢代表の理念・原則と現実感を併せ持つ体質であり、安全保障の原則ありきで、一方、民主党の実力をも現実的にみており、大連立らしきを応諾したと理解できますが、また、小沢代表は独断専行のタイプであり、お山の大将タイプであり、民主党は自分について来ると自信(過信)があったが、総スカンされたことは、不信任と認識せざるをえないというのは整合性はありませんね。

マアー、2日の役員会議(1時間)後には、小沢代表は自ら福田総理に大連立要請の辞退を電話されるということで、民主党幹部は、まさか、小沢代表は、4日の朝には、辞意を表明し、16時には、辞任会見をするに値する程の大連立?の内容という心情を理解できずいたのでしょうね。
これは、小沢代表と民主党のコミュニケーション不足を露呈した事ですね。

民主党は党の総意として、小沢代表の慰留に動いたのは、小沢代表が不信任と受け止め、中連立なり、小連立に画策されることの回避だったのでしょうね。
小沢代表が中連立・小連立で動かれたら、与党(自民・公明)に小沢代表一派が加味されればねじれ国会は解消される可能性がありますので。

大連立は、自民党にとっては、公明党と与党関係より、民主との連立は望むところであるが、公明党との関係は選挙対策上、切れない関係にあり、まずは、小沢代表グループとの連立は一番現実的なベターな路線ですね。

小沢代表は辞任会見時に、辞表の取り扱いは民主党に委ね、今後は、1議員として2大政党制に実現に向け活動すると言われていたことが、小沢代表の一流の内容ですね。
民主党にとっては、今回の代表辞意撤回騒動で、民主党のイメージダウンになっても、小沢代表の中連立なり、小連立なりの回避が最優先であり、小沢代表の暗黙の政治力には、妥協せざるを得なかったということでしょうね。

当方は、2大政党制が理想ですが、多分、選挙制度をネックになり、総選挙で民主党が第一党になるのは、具体的に将来設計ができないと思っており、今後の小沢代表の言動には関心がありますね。
より良い政策立案より、政策実行の政権というパワーゲームですね

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