2007年11月4日日曜日

年金記録問題検証委員会の最終報告書を一読して(3)

問題3 朝日新聞の社説には、近視眼的な部分がありますね。

10月31日の年金記録問題検証委員会の最終報告書を一読して、朝日新聞の本件の社説「年金検証委・・・どの長官の責任なのか」を読み、基本的な論調は賛意はありますが、但し、責任問題については、近視眼的な見方と思えます。

社説は、年金記録問題検証委員会の役割は、「何故、年金記録は宙に浮いたのか?」「その責任は誰にあるか?」という使命であり、報告書は、厚生労働省や社会保険庁は、年金記録を正確に作成し、保管・管理するという組織の使命感、責任感が決定的に欠けていたと指摘しているがその責任がどこにあったかの内容は不十分としている。その根拠を、誰にどんな責任があるかについては一切触れられていない。名前も挙げずに歴代の長官、事務次官、大臣のすべてに責任があるというのは、逆に個々の責任を不問に付すことになっており、集団責任があったが、個別責任を曖昧にしているという論調ですね。

そして、 「検証委員会は歴代の大臣には聴取すら求めていない。これも納得できない。
 歴代の大臣は政治責任をどう考えているのか。とりわけ菅直人、小泉純一郎両氏に聞きたい。年金記録が宙に浮くきっかけとなった基礎年金番号による管理を始めた前後に大臣だったからだ。」と記述しています。

当方がこの論調で近視眼的と思うことは、年金記録が宙に浮くきっかけとなった基礎年金番号による管理を始めたことが起因としている論調の部分です。
年金記録が杜撰な管理で今日まできたのは、基礎年金番号の導入ではなく、それ以前からの現場業務遂行・組織運営・管理が昭和34年に、当時の行政管理庁監察室(昭和34年当時)による「厚生年金保険行政監察」で指摘されてきており、社会保険庁は裁定時主義でフォローUPするとし、その後、業務の統合・一元化を狙いで基礎年金番号制度を導入し、問題解決を図ったと思えます。
基礎年金番号の管理は、導入後の問題であり、問題は、導入にあたり、システム設計(登録作業の設計をも含み)、システム運用設計及び運用管理が不十分であったことです。
これは、報告書でもシステム開発を担った企業も責任をあると指摘していますが、システム開発会社も共同責任があり、経過をみれば、企業論理が優先されたと推測しています。

当方からみれば、誰かが責任を負うことは当然という意識ですが、年金記録問題は、社会保険庁の現場と幹部・監督官庁の厚生省・システム開発会社との営営ときた甘い癒着の三者構造が問題であり、報告書及び社説でいう組織人事の三層構造とは内容は違いますが、システム開発会社の責任は大きいと思っています。
他のマスコミでも、「歴代社保長官に最大の責任」を強調しており、報告書でも記述したシステム開発企業(NTTデータ、日立製作所)をも責任という記述はありませんね。
世の中、パワーゲームがですね。
ITゼネコンを批判することは、パワーゲーム上、得策ではないから。

付記

① 年金検証委―どの長官の責任なのか
  http://www.asahi.com/paper/editorial20071102.html

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