2007年8月31日金曜日

安倍内閣改造 : 花岡 信昭氏の改造内閣の論評?(8)

今回の内閣改造の評論家の論評を見聞きし、解せない論評は、日経BPnetの政治アナリストの花岡信昭氏の「新人事は転換効果を生んでいる」
(http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/y/74/index.html)というコメントです。

花岡氏は、観念的、皮相的な見方を極力排して、政治をリアリズムの視点で、安倍内閣改造人事が予想以上の転換効果(支持率UP)を評価しており、その背景は参院選の自民惨敗という結果は、なにやらある種の「錯覚」「錯誤」に基づく「空気」が国中を支配してしまった一過性だったとしています。
その根拠に、第一、最大の自民惨敗要因といわれた「年金」問題が、今、ほとんど消えてしまい、あの国中を席巻した「年金不信」の嵐はどこに去ってしまったのかと論じており、惨敗は「政治とカネ」、「閣僚の相次ぐ失言」といった不祥事がこれに輪をかけた。「絆創膏」大臣の情けなさが選挙結果を左右する決定的な要因ともなったが、花岡氏はこれを「些事」と断じていたという論調です。

及び、安倍首相は「美しい国」「戦後レジームからの脱却」「現政権で憲法改正」と国家観を打ち出したが、民主党はそこを逆手に取り、「憲法よりも生活」という戦術を取った。「子ども手当」「農家への個別所得補償」といったバラマキ型の公約で選挙戦を矮小化ていたとし、首相周辺の「幕僚」体制の欠如が官邸官僚の跋扈を招き、安倍首相にミスジャッジさせ、新体制は報道対応の取組が課題という骨子です。

政治世界は、現役時代は関心も興味も無く、俗にいう「無党派」で傍観者でしたので、政治のリアリズムなどわかりませんが、花岡氏の論調には、俗人には解せないのです。
政治はパワーゲームであり、空気(民意)には、敏感さが必要とは思っており、花岡氏にいう「錯覚」「錯誤」に基づく不可思議な「空気」はあるとは思っております。
先の郵政民営化の衆議院選挙が、「小さな政府」「改革」「成長路線」が象徴された「郵政民営化」に「錯覚」「錯誤」の「空気」をつくり、自民党の歴史的完勝になったと言えます。「郵政民営化」イコール「自民党政策」が国民の民意・総意と自民党自身が「錯覚」「錯誤」し、その驕りで、自己愛の安倍首相を選び、「美しい国」「戦後レジームからの脱却」「憲法改正」を許容し、責任政党という「錯覚」「錯誤」し、驕りがあったと思っています。
花岡氏の不可思議な空気という観点は理解できても、自己愛の安倍首相の「美しい国」「再チャレンジ」「戦後レジームからの脱却」など自体が跋扈だと思います。
安倍首相が「基礎年金番号を導入を決定したのは、菅サンです」、「小沢さんを選ぶか?自分を選ぶかの政権選択選挙です」を絶叫した人間が、大敗しても、「反省すべきと反省し」と言いながら、再チャレンジを選択せずに続投する人間性に疑問を持つのです。
1ヶ月の政治の空白後の改造人事で支持率UPしたのは、年金問題は一過性の空気だったという「錯覚」「錯誤」に国民が気が付き始めたという花岡氏の論調は、俗人・凡人には解せないのです。

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