堺屋太一氏が団塊の世代を意識をし始めたのは、文芸春秋2005年4月号の記述によれば、1975年頃からで万博準備の動員予想していて、当時の高校生の世代(団塊の世代:昭和22年~24年生まれの697万人、26年生まれまで拡大すると1085万人)の比率が異常に大きいことに注目され、この世代が社会に及ぼす影響を提起し、その9年後に「団塊の世代」を上梓した。
その前書きに、
<1960年代の「若者の反乱」は、戦争直後に生まれた人口の膨みが通り過ぎる嵐であった。かつてハイティーンと呼ばれ、ヤングといわれた、この「団塊の世代」は、過去においてそうであったように、将来においても数々の流行と需要を作り、過当競争と過剰施設とを残しつつ、年老いて行くだろう>
予想しなかった問題が少子化であり、1975年当時の政府は、人口過剰、土地不足が政策の前提され、「強力な人口抑制政策が必要」と主張されていたと境屋太一氏は記述されています。
団塊世代が定年を迎え始める「2007年問題」が論じられ、「団塊お荷物論」の横行に対して、境屋太一氏は、団塊の世代は、かつてないほど活気あふれる60代となり、日本経済復活の原動力となる可能性を秘めていると応援していますね。
(「定年を迎える団塊の世代」http://secondlife.yahoo.co.jp/business/special/060419/index.html)
さて、当方は、「団塊のお荷物論」のいう都市近郊の住宅地に働かない60代がゴロゴロし、地域のことなどに口をだし、医者通いが多くなり、労働力はどんどん減り、年金や福祉の負担だけが増大してゆき、社会の活気を失わせる世代なるか、境屋太一氏の言われる新たな日本経済復活の原動力のなれる世代ですが、前者でしょうね。
無理をせず、媚を売らず、マイペースで過ごせることを切望している次第です。
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