イージス艦「あたご」の漁船衝突事故における国会での石破防衛相の答弁を見聞するにつれ、人間的な優しさは感じられ、防衛分野に精通していることは見受けられ、どういう責任をとるのか関心がありました。
石破防衛相は、犠牲になった家族の心情を第一とし、原因究明・再発防止及び防衛庁の改革の道筋をつくることが犠牲になった家族との約束であり責務であるとし、しかる時期に身の振り方は覚悟していると強調していますね。
石破防衛相の言われていることは自然であり、敢えて異論はありませんが、問題は観念論・心情論ではなく、望まれていることは具体的な見える形での明示ですが、石破防衛相の答弁は、質問を自分なり、「どうあるべきか?」、「どうすべきであったか?」、「どうしたらよいのか?」・・・・と考えているという論調で、表面的には、本質を自分は十分に認識しているという・・・卒のない答弁であり、本質的な骨子を明示せず、組織防衛の弁明や弁解に聞こえてきます。
石破防衛相の本意ではなくても、自分はこんなに防衛分野には精通しており、真面目に、真剣に取り組みしていますよというイメージをかもし出している感じがします。
何故、そんなイメージを持つのか?・・・・考えてみると、平時には、優秀な大臣であるが、有事には、なまじっかの知識があることが邪魔し、本質の問題・事柄を見抜けない、見抜けても、非情になれず、人間的な優しさがで、観念論・心情論が前面にでてくるのはないかと推察します。
組織の長は、不条理であっても、組織の落ち度の責任を負わなければならず、その為に、人事権を持ち、組織形成ができるのです。
組織の責任を負う事態になったのであれば、私心を捨て、素直に現実把握し、開示し、許されれば、再発防止・組織改革を実施し、責任を取る覚悟である・・・言えば、トップが私心を捨て、辞任する覚悟で非情に事にあたるという空気になれば、現場は緊張感を持って、事にあたりますね。
石破防衛相の答弁は、「あるべきはどうであったか?」と枕言葉があり、自分の弁明であり、組織の弁解であり、「あるべき姿に取組みする」という論調では、言っている内容が一理あっても、インパクトがなく、些細な事柄でエネルギーを浪費していると感じますね。
事故究明は海上保安庁の守備範囲ですが、防衛省は海上保安庁と協調し、防衛省なりの原因究明と責任問題と再発防止に組織・設備機器・運用の改革に即着手すべきですね。
「どうであったか?」「どうすべきあったか?」「どうあるべきか?」・・・などの言葉は一度、聴けばわかりますね。
また、情報統制のお粗末さは、大臣発言と広報担当に一元化すべきであり、情報操作、情報隠蔽と疑われるのです。
やはり、防衛オタク、自衛隊オタクでは、荷が重いかな。
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